観る将さんは語りたい

すっかり観る将になってしまった、元指す将の将棋観戦記録です

羽生善治は、どこまで強くなっていくのか

竜王戦の挑戦者が決まった

羽生九段が挑戦権獲得、前人未到の「100期」を懸け豊島竜王と対戦へ

羽生善治ファンにとっては、本当に久々のタイトル戦での羽生善治になるかもしれない。 一昨年の年末、広瀬章人に敗れ竜王位を失ってから、1年と9ヶ月。 この間、タイトル挑戦に絡むことすら出来ず、ずっと「無冠」のままだった羽生善治が帰ってきた。

2016年頃から、その傾向は出ていたがいわゆる年齡による「衰え」を羽生善治が見せ始めた。 最初は、ただの不調というのが将棋ファン全体の意見ではあったが、一部の人たちはそれが衰えである事を指摘していた。 そして、実際に成績を見ていくと

年度 勝数 敗数 勝率
2016年度 27 22 0.5510
2017年度 32 22 0.5926
2018年度 29 23 0.5577
2019年度 29 20 0.5918

と、生涯勝率7割を超えている羽生善治の成績からすると明らかに不調な成績が刻まれている。

ちなみに、2010年度から2015年度までの成績を並べると

年度 勝数 敗数 勝率
2010年度 43 14 0.7544
2011年度 44 19 0.6984
2012年度 51 17 0.7500
2013年度 42 20 0.6774
2014年度 39 15 0.7222
2015年度 30 17 0.6383

こんな感じなので、ここ数年は本当に衰えている事が数字に現れてしまっている。 衰えていると言っても、勝率5割以上をキープしているのは流石だが、勝率5割を越えるだけではタイトル戦に絡むのは容易でないことも推して知ることが出来る。

その羽生善治が、タイトル100期挑戦を掛けて竜王戦の挑戦者として名乗りを挙げた。

第33期竜王戦

第33期竜王戦決勝トーナメントは波乱に満ちたトーナメントであった。

左の山は羽生九段のタイトル100期はもちろんだが、結果を見ると分かる通り、5組優勝の梶浦六段が石井健太郎六段、木村一基王位(当時)、佐藤康光九段を打ち破って準決勝まで勝ち進んでいたので、まさか羽生九段も……?と思う人達が多かった。 総当りがある順位戦と違い、パラマストーナメント形式の竜王戦は、その年で一番勢いのある人が優勝しやすい仕組みになっている。 梶浦六段の勢いはそれを表していたが、実際には羽生九段がその勢いを止めた形になった。

ちなみに、その時の戦型は、横歩取り青野流。一つ前の記事で書いた△4二銀+△2二歩での対策だった。 豊島竜王が採用する前に、既に羽生九段がこの形の優秀性を示唆していたのだ。

一方、右の山の大注目は藤井聡太七段(当時)。 丸山九段、佐藤和俊七段、久保-佐々木の勝者を打ち破って挑戦者決定三番勝負に名乗りを上げると多くの人が考えていた。

しかしながら、初戦で一手損角換わりの名手、丸山忠久九段にその道を阻まれる。 その対戦を私も見ていたが、完全に経験の差で負けたといった風だった。 一手損角換わりは、丸山忠久九段が最も得意としている戦法である。 わざわざその変化に飛び込んでいった藤井聡太二冠も中々の胆力があるが、流石に超一流の専門分野では力を発揮できなかった。

一手損角換わりvs棒銀
一手損角換わりvs棒銀

実は今回羽生善治九段vs丸山忠久九段の戦いも途中までこの形になった。 一手損角換わりに対する先手の対策は「棒銀」というのが、第一人者の結論なのだろう。 当然、受ける丸山九段もそれは重々承知の上で戦っている。

上図の次の1手が藤井二冠と羽生九段で異なっていた。

藤井二冠は、▲7七銀という囲いを完成させる手を選んだ。一方、羽生九段は、▲2六銀を選んだ。 これに対する丸山九段の応手はまるで違っていて、▲7七銀に関しては端を打診する△9四歩だったが、▲2六銀に関しては△8五歩をすぐに突いた。

ここから察するに、この形で▲7七銀はやや消極的な選択肢だという事だ。 もちろん、その後の展開次第では壁銀で戦うよりもしっかり飛車先を受けた形の方が良い。 しかし、丸山九段の応手を見ると、ここではあまりプラスになっていない手だと主張している。

先手が先に▲7七銀だと、後手には1手余裕が出来る。

故に、△9四歩という端の手を先に指すことが出来る。 しかし、▲2六銀だと先手の攻めがかなり早いので、後手はゆっくり出来ない。 飛車先を突き越していつでも玉頭から反撃できる形にしなければならないということだ。

山九段の応手でその差が如実に現れた場面と言える。 駒組みの前段階という意味では、ここがまずひとつ目のピークだったと言える。 以降の指し手は省略する。 注目したいのは、羽生九段も藤井二冠もスペシャリストに対して最強の応手で戦ったという点だ。

一手損角換わりにもっと穏やかに対応することは可能だが、二人共それを行わなかった。棒銀という最強の矛で戦法そのものをとがめに言ったのだ。 これが、第一人者の選択、なのだろう。

棋譜からそこまで真意を汲み取るというのは難しいが、そういったメッセージが伝わってくる。

何よりも、藤井二冠を破った一手損角換わりに全く同じ戦法で戦いに言った羽生九段にはただただ脱帽である。 楽に勝とうとか、ズラして勝とうとか、そういう気持ちは一切無いことが分かる。

一切妥協しない将棋

これが、羽生九段が今までトップをずっと走れた事の本質なのだと思う。

そして、その黄金の精神とも呼ぶべき、強情さは確かに藤井二冠も持っている。 もう藤井時代は既に始まっていると言っても過言ではない。それでも、その若き才能に真っ向から挑む羽生九段はやはり別格の棋士である。

敗れはしたものの、丸山九段もやはり規格外の棋士と言っても過言ではない。 羽生世代の層の厚さもさる事ながら、その衰えにくさは、この三十年間将棋界を牽引してきた証と言える。

藤井-丸山戦と羽生-丸山戦を並べてみると分かるが、先手も後手も途中までは本当に良く似ている形を指している。 しかし、ほんの少しの差が、勝敗を分ける部分となっている。 それらを比較検討することは今後同じ形が出た時にきっと役に立つ。

今回の羽生九段の勝ち方はどれも内容が非常に良い。対梶浦戦、対丸山戦の最終局は何度も盤に並べてそのエッセンスを味わいたくなる棋譜となっている。

羽生善治は、まだまだ強くなろうとしている。 自身の衰えをはっきり感じ取っているが、それでも尚前に進むことを諦めていない。

既に、大山という超巨人が前例を残してくれたからこそ、羽生善治もそれを礎として頑張れるに違いない。 前例の無い道を突き進むのは本当に厳しく険しい。しかしながら、昭和時代には、大山が。平成には、羽生が。そして、令和には……。

ここから先は、まだ誰にも分からない話だ。 しかしながら、歴史は繰り返すと言われている。 大山が最後にタイトルを取ったのは、59歳。 羽生善治はまもなく50歳。まだまだ、先人の道筋が残っている。

羽生先生には100期だけでなく、もっとたくさんのタイトルを取り続けて欲しいと思っている。 王将リーグにも参加していて、こちらもタイトルのチャンスがある。

今年の王将リーグは最強の六人集合といったリーグ戦になっていて、正直誰が優勝してもおかしくない。

強い羽生善治は、帰ってきているのだろうか。 仮に帰ってきていないとしても、自分の衰えすらも武器にして戦い続けるそういった棋士であり続けて欲しいというのはあまりにも酷で贅沢な願いなのだろうか。